
当記事は愛媛県松山市の名城『松山城』の観光レポです。
しかし言わずと知れた松山城、すでに多くの人が感想や解説を述べてきていることでしょう・・・
ということで、私は以下の3つのポイントに絡めながら、松山城の魅力をお伝えしていこうと思います!
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① ロープウェイ&リフトで天守へ! |
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② マスコット『よしあきくん』 |
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③ 松山城の歴史を簡単に♪ |
この記事を読んで「松山城って面白そう!」と感じていただければ幸いです。
それではどうぞご覧ください♪
松山城はロープウェイ&リフトで観光♪

松山城は標高132mの勝山山頂にあるので、向かうならロープウェイorリフトの利用がオススメです。ハイキングコースもあるようですが、かなり根気が要りそうなので私はロープウェイに乗ってしまいました^^
なんたってこの急勾配!!
リフトで降りてくる人々とすれ違う瞬間は、なんともシュールな気持ちに^^思わず手を振り合ってしまいました。
両方とも整備されているのが良いですよね。ガイド付きでゆっくり楽しみたいならロープウェイ、風やスピードを感じたいならリフト!みたいに、好みで選べますからね。
ちなみに乗り場は路面電車「大街道(おおかいどう)駅」から徒歩5分ほど。ロープウェイ街は食べ歩きスポットとなっています♪

到着すると、この眺め!
断崖絶壁・・・ここを攻めるのは骨が折れますね。実際松山城は敵の侵略を防ぐために、この地形を利用して建てられたと言われています。
確かに攻めにくいけど、それ以前に建てるのが大変〜!
機械のない時代に、こんな場所まで岩や木材を運んで建てたことを考えると、まさに人々の血と汗が染み込んだ財産ですよね。ここで早くも感動してしまいました。
松山城のよしあきくんが可愛い!

松山城には『よしあきくん』というキュートなマスコットキャラクターがいます。
その名は初代城主の加藤嘉明(かとう・よしあき)にあやかっており、築城400年を祝うべく誕生したそうです。松山を応援するため、お出かけすることも多いのだとか。
よしあきくんが右手に持っている札には「松山城へ ようおいでたなもし」とありますが、これは愛媛の方言で「ようこそいらっしゃいました」という歓迎のメッセージだそうです。
う〜〜〜ん、どこかで聞いたことのあるフレーズだな〜?
・・・あ!夏目漱石の「坊ちゃん」に「ぞなもし」という語尾が使われていましたね!
「坊ちゃん」の舞台は愛媛県松山市で、松山城も聖地の一つとして知られています。ここからごく近い道後温泉も「坊ちゃん団子」や「坊ちゃん列車」など、何かと坊ちゃん絡みのものが多かったですね。
さて、話を『よしあきくん』に戻しましょう!

帰りのロープウェイに乗る際に見つけた、よしあきくんの小さなランタン?です。光るよしあきくんも可愛い^^
丸顔のよしあきくんにすっかり魅了されてしまい、松山城の公式HPにて彼のプロフィールを調べてみました(以下引用)
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名前 |
よしあきくん |
好きな食べ物 |
お餅 |
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誕生日 |
1月15日 |
嫌いなもの |
スズメバチ |
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特技 |
槍投げ |
好きなことば |
“一期一会” |
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趣味 |
人とのふれあい、 散歩 |
チャームポイント |
かわいい “ちょびひげ” |
お出かけが多いというよしあきくん。「人とのふれあい、散歩が趣味」というところや、好きなことばが“一期一会”であるところに、彼の人懐っこさを感じますね^^
あのひげはチョビなのか?とか、そもそもスズメバチを好きな人はいないのでは?とかはさておき、「特技:槍投げ」というのが気になって調べてみると、こんなことが分かりました。↓
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初代城主の加藤嘉明は、1583年の賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで活躍した「賤ヶ岳七本槍」の一人。豊臣秀吉の配下として戦に貢献し、出世した7人の将軍がそう呼ばれた。 |
ほう・・・。よしあきくんの特技は、その通り名に因んで決まったのかもしれませんね!
ちなみに1月15日というのは加藤嘉明ではなく、松山城の誕生日だそうです^^
よしあきくんの可愛さに惹かれて調べてみると、思いもよらず松山城の歴史の勉強になりました。ありがとうよしあきくん♪
松山城の歴史を簡単&わかりやすく紹介!

ここからは松山城の写真と共に、歴史を簡単に解説していきますね!
ここまで既にお伝えした、
・初代城主は加藤嘉明(賤ヶ岳七本槍の一人)
・松山城は敵の侵攻を防ぐために断崖絶壁の地形を利用している
以上の2点とも繋がる、必見ポイントをご紹介していきます。
堆(うずたか)い石垣の上の天守。石垣は「打ち込みハギ(加工した石を積む)」と「切り込みハギ(石同士がピッタリ密着するように加工する)」という2つの手法を用いて積み上げられています。
松山城は今までに落雷や戦災を受けており、その再建の際に石垣の積み直しをしたため、古い「打ち込みハギ」と新しい「切り込みハギ」が混同しているとのこと。

やっとの思いで、本壇に到着。
「本壇」ってあまり聞き慣れない言葉だと思いますが、松山城では本丸の中でも中心を示す言葉だそうです。
本壇には天守、商店主、北隅櫓、南隅櫓、一ノ門、二ノ門がありますが、入り口は1ヶ所のみで、とにかく迷路みたい・・・。石垣によって直角に区切られた空間「枡形」があり、侵入者を攻撃しやすい造りになっています。

小天守から外を覗いてみると、その複雑な構造を実感することができます。

本壇最初の門、一ノ門。一体どうなってるんだ・・・?まるでエッシャーの騙し絵のようです!
上方&前後左右から、門を潜る敵を攻撃しやすい構造になっています。「さあ行くぞ!」とここを通れば袋の鼠というワケですね・・・!想像したらゾッとしてしまいました。

えーっと、これはどこの狭間(覗き窓)だったかな・・・?
造りが難しすぎて、一体今自分がどこで何を見ているのか分からなくなります(笑)

中庭をチラリ。ここも迷い込んでしまったが最後、集中攻撃されそうですね・・・
松山城は「連立式天守」という形式をとり、天守〜小天守〜櫓が全て渡櫓で繋がっています。こんな風に建物が中庭をぐるりと囲んでいるのが特徴的で、防衛に特化した構造となっているのです。

実際に火縄銃を持って、狭間から敵を狙い撃つ感覚を味わうこともできます。火縄銃は結構ズッシリです。

家紋と一緒に記念撮影ができるコーナーもありました♪
背景は松平家の家紋“三つ葉葵”です。
・・・ん?加藤家じゃなくて?
三つ葉葵といえば徳川では?
その疑問を解決すべく、松山城を取り巻く人々について調べてみました。
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1602年 |
加藤嘉明、築城開始 |
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1627年 |
天守・本丸など大部分が完成。 しかし加藤嘉明、会津へ転封。 蒲生忠知(がもう・ただとも)が藩主を継ぐ。 |
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1634年 |
ほぼ完成。 しかし忠知の急死により、蒲生家断絶。 |
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1635 |
松平定行(まつだいら・さだゆき)が伊予松山藩藩主として入城。松平家の統治が始まる。 |
加藤嘉明が会津藩の藩主となったのは、松山城完成前のことだったんですね。ちなみに松平定行は徳川家康の甥だったため、三つ葉葵の使用が許可されたそうです。
まとめ
いかがでしたか?松山城のロープウェイ&リフトで楽しむ眺望、愛らしい『よしあきくん』、建物から読み取れる歴史・・・
私の拙い言葉で、少しでも皆さんに松山城の魅力が伝われば嬉しい限りです。
しかし松山城には、ここでは紹介しきれなかった見所がギュッと詰まっています!
ぜひ直接足を運んで、楽しんできてください^^
